スタッフのNさんから、食べた後のアボガドの種を土に返したら芽が出たと伺い、見せていただき、感激しました。
ぐんぐん育ち、鉢を一回り大きくして植え替え、観葉植物として立派に働いてくれています。
この夏の猛烈な暑さのせいでしょうか?いま少し葉に枯れが入ってきています。
と同時に小さな新芽が見えています。何とか育って欲しいと見ています。
愛情をかけた命の応答。その姿をを見せてくれる毎日にドキドキしています。
そしていのちの不思議と尊さに、襟を正す想いにさせられます。
戦後79年。夢の超特急新幹線が走って60年。戦争の記憶はないが、かろうじて戦中生まれ、初の新幹線にも立ち会った。生きて過ぎてきた日を振り返ると、興奮することがたくさんあっての時代の流れ。それは今も続き、これからも続いていく。生きているからこそのよろこび。
AIなど、まだまだ人のやることは止まることがない。
先日、久しぶりにヴィクトール・フランクルの書物を開いてみた。アウシュビッツの強制収容所からガス室へと当然行くはずの命が、不思議に免れて生還された。苦悩の捕虜生活の中で、意味のないものは一つもないとの基盤に立ってぶれなかった人だが、それは強制収容所の地獄のような体験があったから得られたものだと、彼は言う。
解放されて戻ったところには、
愛する大切なものが、全て失われていた。自分は何のために生き残ったのか?生きる意味はあるのか?と苦悩した中で、全てのことは、みな意味があると気付かされる。後に、二人目の妻に出会い、家族にも恵まれ、孫にも出会い、妻の助けを借りながら大きなはたきを92歳まで為すことができた。
生きていたからこそです。
子供たちと日々向かいあい、交わす中で、
女の子たちがよく言う言葉、「意味わかんない〜」。
無意識のうちにも意味あることを探しているんだなぁとわかる。
この豊かで、何でも手に入りそうな時代に生まれ、尽きることのない欲求、思うようにならないことばかり。不平不満は募る。悩むことばかり。それでも自立に向けて、助けられながら目標に向かっていく姿に、応援の手は緩めたくない。
生きていれば、悩んでいれば、必ず意味は見つかるよ。そして今、経験していることには、全て意味があるんだよ。
意味のないものは一つもないよ。を発信しながら、今日も見守っていく。
Nさんが蒔いてくれた朝顔が咲き終わり、種がこぼれた。
そこから双葉が出ているのにまた驚いた。季節外れの朝顔が咲いてくれるかもしれない。
ドキドキしながら見守るものがまた増えた。